MENU
このエントリーをはてなブックマークに追加

第47回 豊臣秀頼の転封、実現すれば豊臣家は生き残ることができたのか

NHK大河ドラマ「真田丸」第47回では、大阪冬の陣の和睦交渉で豊臣秀頼の転封が話題に上りました。転封とはいわゆる領地の国替えです。戦国時代から江戸時代にかけて転封はしばしばあり、徳川家康が本拠を江戸に移したのも豊臣秀吉の転封命令によるものでした。結局、真田丸の破壊や堀の埋め立てで和睦が成立し、秀頼の転封は実現しませんでしたが、転封に応じていれば豊臣家は存続できたのでしょうか。

戦国時代は家臣団統制に転封を活用

戦国時代の転封は、主として家臣団の統制に使われていました。戦国大名の配下には、大名の意のままに動く武将だけでなく、国人衆と呼ばれる地元の豪族が多数、含まれていました。

国人衆の多くは当初、同盟や婚姻関係を通じて戦国大名に従っています。やがて戦国大名の力が増すと、事実上の配下武将となり、数々の戦に付き従うようになります。例えば、甲斐(今の山梨県)の武田信玄なら、親族衆となっていた穴山氏、小山田氏がもとは土着の国人衆でした。

真田幸村の祖父幸隆も信濃(長野県)の領地を追われ、上野(群馬県)で亡命生活をしていましたが、信玄に従い旧領へ復帰しています。このため、武田家中の真田家は信玄子飼いの武将であるとともに、信濃国人衆の1人という側面も持っていました。

家康と織田信長の関係もこれと似ています。当初は対等な同盟関係でしたが、信長が足利義昭を奉じて上洛し、畿内に勢力を広げると、両者の勢力範囲に大きな差が生まれました。やがて家康は信長と姻戚関係を結びながら、事実上の配下武将の1人として動くようになっていくのです。

国人衆はそれぞれの領地と深い関係を持っています。戦国時代の転封はこれを切り離し、家臣団化することが目的でした。ただ、国人にとって転封が受け入れがたいこともあります。転封命令に不満を持ち、謀反を起こしたり、他家に寝返ったりすることも考えられます。

大名との力関係で転封させられない国人もいたわけです。このため、戦国時代の転封には、一定の限界が存在したと考えられています。

信長、秀吉時代以後はもはや逆らえない命令に

信長や秀吉が強大な権力を築くと、国人衆の多くもその意向に逆らえなくなります。謀反や寝返りを企てたとしても、あっという間に取り潰されるだけだからです。

豊前(福岡県東部、大分県北部)の戦国大名城井鎮房は、秀吉の九州統一後に豊臣家に臣従しましたが、伊予(愛媛県)への転封を拒否し、取り潰されました。こうした事例は多数あり、もはや国人の意向など通用しなくなったのです。

信長や秀吉が進めた転封には、戦や政治的手腕に対する恩賞として領地を加増するケースと、相手を警戒して遠隔地に追いやろうとする場合があります。前者の例としては信長による佐々成政の越中(富山県)、前田利家の能登(石川県北部)転封などが挙げられます。

家康の関東転封は石高が増えていますから、前者のようにも見えますが、その実力を警戒した秀吉が未開の関東に追いやり、領国経営で力を削ごうとしたとの見方もできます。黒田孝高の豊前転封も同じ狙いがあったとみる歴史家が多いようです。

佐々成政は秀吉から肥後(熊本県)を与えられましたが、大規模な一揆が起き、それを理由に改易されました。新しい領地でトラブルが起きれば改易の理由になることも、秀吉らは念頭に置いていたのでしょう。

数万石の小大名としてなら生存も可能

家康も関ケ原の合戦のあと、信長や秀吉と同様に転封を利用しました。取り潰した西軍大名のあとに、東軍に味方した大名を置きました。江戸と京都の間には親藩や譜代の大名を配置し、実力を警戒する外様大名は九州、東北など遠隔地に移しています。

そんな中、畿内に残ったのが豊臣家でした。家康は征夷大将軍として武家のトップになりましたが、豊臣家は旧主筋に当たります。孫の千姫を嫁がせていますから、時代の変化を受け入れて幕府に従うのなら存続させたかもしれません。しかし、目障りな存在だったことは間違いないでしょう。

しかも、大阪城は天下一といわれる城であり、かつての豊臣政権の象徴です。大阪城から秀頼を退去させ、今や一大名であることを天下に知らしめようと考えていたのは間違いありません。大阪冬の陣が始まる前にも、伊勢(三重県)や大和(奈良県)への転封話が浮上したとされます。

ただ、秀頼の所領は65万石余り。衰えたとはいえ、依然として大大名ですから、家康にとって目の上のたんこぶであることに変わりありません。転封を受け入れたとしても、これまで通りの石高が保証されるとは限らないでしょう。

家康の死後、幕府が煙たい存在である秀頼に無理難題を押し付けてくることも予想されます。転封を受け入れれば、一時的に滅亡の危機は解消されそうですが、その後も存続できたかとなると、数万石の小大名か旗本にでもならない限り、難しいように思えます。



スポンサードリンク