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第38回 戦国時代や安土桃山時代の平均寿命はいくつだったのか

NHK大河ドラマ「真田丸」第38回では、真田信之、幸村(信繁)兄弟の父で、草刈正雄さんが扮する真田昌幸が亡くなりました。生誕が1547(天文16)年、死没が1611(慶長16)年ですから、64歳で死亡した計算になります。戦国時代から安土桃山時代にかけ、長く戦乱が続いて若死にする人は少なくありませんでした。飢饉や伝染病の流行もたびたびあり、その犠牲者も多かったようです。この時代の平均寿命はどれくらいだったのでしょうか。

三英傑の死亡時満年齢は信長48歳、秀吉61歳、家康73歳

「人間50年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり」。織田信長が好んだとされる幸若舞の演目「敦盛」の一節です。信長の伝記「信長公記」には桶狭間の合戦に出陣する直前にこの一節を謡い舞ったという記述があります。

本来は「人の世の50年の歳月は下天の1日にしか当たらない」という意味でしたが、最近は「人の寿命の50年は夢や幻のようにはかなく短い」と誤って解釈されることが多くなっています。

信長は満48歳で死亡しましたから、ほぼ50年近い生涯を送りました。ただ、信長は本能寺の変で自害しています。戦死や自害ではなく、病気で亡くなった有名戦国大名、武将の満年齢を通説から見てみましょう。

長生きしたのは、中国地方の毛利元就74歳、江戸に幕府を開いた徳川家康の73歳です。奥州の伊達政宗は68歳、豊臣秀吉が61歳、北陸の前田利家と土佐(今の高知県)の長宗我部元親がそれぞれ60歳、関東の北条氏康が56歳。

現代なら長寿とはいえませんが、当時としては天寿を全うしたといっても良さそうです。家康が最後に天下を取ったように、長生きしたから歴史に名を残すことができたのかもしれません。

もう少し若くして死んだのは、甲斐(山梨県)の武田信玄51歳、越後(新潟県)の上杉謙信48歳。死亡時の年齢は信長とほぼ同じくらいです。もっと若かったのは、家康の次男結城秀康33歳、秀吉の義理の甥に当たる小早川秀秋20歳、家康の五男で甲斐武田家を継いだ武田信吉19歳、信長の四男で秀吉の養子になった羽柴秀勝16歳など。

乳幼児の高い死亡率が平均寿命を引き下げ

戦国時代から安土桃山時代の平均寿命を調べた推計結果はないようですが、一般にはとても50歳に及ばなかったと考えられています。日本人の平均寿命が50歳を超えたのは、太平洋戦争が終わったばかりの1947(昭和22)年なのです。

平均寿命は大人に成長した人が平均して死亡する年齢と誤って解釈しがちですが、ゼロ歳児があと何年生きられるかを統計学的に表したものです。このため、乳幼児の死亡率が高いと、一気に平均寿命を引き下げてしまいます。

日本でも1950(昭和25)年には、生まれた子供の5%が5歳になる前に死亡していました。現代と異なり、栄養状態が悪く、伝染病の発生など衛生上の問題も多かったからです。

まして戦国時代や安土桃山時代となると、雨不足や冷夏が飢饉を引き起こす一方、予防接種もありませんから、天然痘やはしかなど伝染病が猛威を振るいました。そのうえ、戦乱で田畑が荒れたり、親を失ったりして命を落とす子供たちが後を絶たなかったのです。

江戸時代には「7歳までは神のうち」という言葉がありました。数え年で7歳、満年齢だと6歳になって初めて人間社会の一員と考えようという意味です。それだけ乳幼児の死亡率が高かったわけで、江戸時代の平均寿命は30~40歳とみられています。となると、それ以前の戦国時代なら、30代前半ぐらいと考えるのが妥当でしょう。

出産時の死亡と戦病死も若死の原因に

乳幼児の死亡率以外にも平均寿命を引き下げる要因は数多くありました。その代表例が出産時の死亡と戦病死です。戦国時代には信玄の嫡男勝頼の正室で、信長の養女に当たる龍勝院が難産で死亡したと、武田家の軍略を記した軍学書「甲陽軍鑑」に記述されています。

出産は現代でも命がけです。江戸時代以前の妊産婦死亡率は不明ですが、1950年代で25人に1人という統計数字があります。衛生状態の悪い戦国時代なら、こんな数字でなかったことは当然、予測がつきます。

戦病死も非常に多かったでしょう。乱世といえども戦国大名も大大名になれば、合戦で首を取られることは少なくなります。先に挙げた戦国大名や武将は天下人か、天下を争う大大名です。戦場の第一線で刀や槍を振るうことはそれほどありません。

ところが、もっと身分が低い足軽や足軽大将クラスになると、敵陣へ突っ込み、槍や刀で切り合います。戦場で命を失わなくても、戦場で受けた傷が原因になり、病死するケースは多かったといわれています。

近代戦争でも、抗生物質のペニシリンが開発されるまで傷に細菌が感染するなどした戦病死はたくさんありました。太平洋戦争でも戦死者より戦病死者の方が多い戦場は少なくなかったのです。戦国時代の名もなき将兵の没年齢が分かれば、若くして死ぬことが当たり前だった当時の状況がより明らかになることでしょう。



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