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第34回 直江状の真相は?直江兼続が喧嘩を売ったのか、徳川家康の陰謀か

NHK大河ドラマ「真田丸」第34回では、上杉景勝の側近直江兼続が謀反の疑いをかけてきた徳川家康に反論の返書を記すシーンがありました。この返書が直江状で、謀反の疑いを全面的に否定するだけでなく、家康を批判する言葉を散りばめ、激怒させたと伝えられます。これを機に家康が上杉討伐の軍を起こすことになり、関ケ原の合戦へとつながるわけですが、直江状自体が存在せず、家康の陰謀とする説もあります。真相はどうだったのでしょうか。

書状の内容は家康の姿勢を公然と批判

直江状は1600(慶長5)年4月、家康に命じられて上杉家との交渉に当たっていた西笑承兌に送ったとされます。西笑承兌は京都の僧で、家康の外交僧を務めていました。西笑承兌が上杉家に謀反の疑いがあるとし、上洛して釈明を求めたのに対する返書なのです。

一般に伝わっている内容では、上杉家に謀反の意思がないとしたうえで、武器を集めているのは上方の武士が茶器を集めるのと同じと釈明しました。上洛については前の年の秋に帰国したばかりで、領地の内政をするために動けないと回答しています。

さらに、上洛が困難な理由として、一昨年に越後(今の新潟県)から陸奥(東北地方)会津に国替えしたばかりであることや、雪国なので10月から3月は内政ができないことを挙げています。

家康を激怒させたとされるのは、文面のあちこちに家康を批判する言葉が散りばめられていたからです。「讒言する者を調べもせずに信じるのは、家康に表裏があるからではないか」、「逆心がなければ上洛せよというのは、赤ん坊の理屈のようで話にならない」などと反論しました。

そのうえで、家康が五大老の1人である加賀(石川県南部)の前田利長に1599(慶長4)年、謀反の疑いをかけて屈服させたことを「家康の威光が強くなっている」、上杉家を詰問する家康の態度を「上洛できないように仕組まれた」と嫌味たっぷりに書き加えています。

手紙を普通に読めば、五大老筆頭の家康に正面から喧嘩を売ったと受け止められる内容です。家康が激怒したとしてもおかしくないでしょう。このあと、家康は謀反の疑いで上杉討伐の軍を起こします。

原本は不明、陰謀による偽書説も

ところが、直江状の原本は見つかっていません。山形大図書館によると、最も古い写本が登場したのは、江戸時代に入った1640(寛永17)年。その後、上方で多数の写本が出版され、広く流通しました。しかし、内容は少しずつ異なり、後世の偽作と思われるものもかなりあるようです。

ドラマで家康は直江状を破り捨てましたが、関ケ原の合戦で勝利し、幕府を開いた家康が直江状を処分するとは考えられません。幕府が記録として保存していて当然です。このため、家康の陰謀による偽書説が出ているのです。

直江状が書かれた当時、家康と石田三成が中央で激しく対立していました。三成は加藤清正ら豊臣家武断派武将の襲撃を受け、奉行の地位を追われましたが、家康が実権を握るのを快く思わない武将と連絡を取り、再起をうかがっていたのです。景勝や兼続も三成に近く、反家康勢力の一員でした。

家康は豊臣政権の中で圧倒的な実力を持つ飛び抜けた存在でしたが、反対派を一掃して天下取りを目指していたと考えられます。そんな折、景勝の旧領越後に入った堀秀治から上杉家に不穏な動きがあるとの報告を受けます。

景勝の重臣藤田信吉が出奔し、家康に対して景勝に謀反の意思があることを伝えてきました。家康は家臣の伊奈昭綱を派遣し、景勝に上洛を勧めましたが、景勝は応じませんでした。そこで、外交僧の西笑承兌を通じ、交渉を進めていたのです。そんな折に直江状が届いたことになります。

直江状の内容は家康、三成双方に好都合

直江状の内容は家康、三成の双方にとって、都合良くできています。景勝は心から家康に従っているわけではありません。家康からすれば対抗勢力となりうる大大名の景勝を叩き潰す好機が巡ってきたわけです。

史実通りに家康が上方を離れた隙に三成が挙兵することも計算に入れていたでしょう。そうなれば反対派を根こそぎ一掃し、一気に天下を奪おうと考えていたとみられます。偽書をねつ造して上杉討伐の軍を起こすだけの理由が家康にあるわけです。

一方、三成は家康が上杉討伐軍を起こし、上方を離れればその隙に反家康の諸将を糾合し、挙兵できると考えていたはずです。直江状は家康打倒の機をうかがっていた三成に千載一遇の好機を与えたことになります。

五大老の一角前田利長と五奉行筆頭の浅野長政は、家康に謀反の疑いをかけられ、屈服しました。五大老五奉行の合議制は崩れ、家康1人が豊臣政権を動かすようになっていました。三成はどこかで家康を止めなければ、天下を家康に奪われるという焦りを感じていたでしょう。

直江状の存在を信じる歴史学者の中には、三成と兼続が示し合わせ、家康に挑戦したのではないかと考える人がいます。景勝がかつての旧領越後を取り戻すなど勢力拡大のため、三成の挙兵を見越して家康に刃向かったとする見方もあります。

直江状が本物か偽書かの決着はついていませんが、時代を動かすきっかけとなったことだけは間違いありません。



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