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第21回 浪人から一国一城の主へ、北条早雲の国盗り物語

NHK大河ドラマ「真田丸」第21回では、天下統一を目前にした豊臣秀吉が、上洛要請に従わない関東の北条氏政、氏直父子に対し、いら立ちを募らせるシーンがありました。秀吉にとって最後の敵となる北条氏は、祖先が一介の浪人から戦国大名になったとされる北条早雲です。

下剋上の象徴的な存在として語られてきましたが、室町幕府の役人を務めた領主の出で、実の甥が駿河(今の静岡県東部)守護を務めています。知略を武器に一国一城の主の地位へ駆け上ったことに間違いないものの、長年語り継がれてきたイメージとは少し違うようです。真田丸の時代の約100年前に活躍した早雲の人生をたどってみましょう。

甥を補佐するために役人を捨て駿河へ

早雲は本名伊勢盛時が通説で、通称新九郎。早雲は早雲庵宗瑞という出家後の号です。生年は長く1432(永享4)年とされてきましたが、近年は1456(康正2)年説が有力になっています。室町幕府の徴税官を務めた家の出で、領地がある備中(岡山県西部)の荏原荘で生まれたと考えられています。

父の盛定は室町将軍足利義政の申次衆をしていました。申次衆は武士が将軍に拝謁する際、取次をする役目で、早雲も若いころにこの職に就いていたといわれています。浪人になる前は、室町幕府でれっきとした職に就いていた家柄なのです。

東国と関わりを持つようになったのは、1467(応仁元)年に応仁の乱が始まった際、駿河守護の今川義忠が上洛して東軍に加わってからです。義忠は父の盛定と知り合いで、その縁で早雲の姉妹の北川殿が義忠に嫁ぎ、嫡男の龍王丸を産みました。

ところが、義忠は1476(文明8)年、遠江(静岡県西部)で敵の襲撃を受けて討ち死にします。当時、龍王丸は6歳。跡継ぎ争いが今川家で起き、調停するために早雲が幕府の役人として、駿河へ向かいました。龍王丸が成人するまで、対抗勢力の小鹿範満を家督代行とすることで決着します。

再び駿河へ向かったのは1487(長享元)年。龍王丸を補佐するためで、このときに早雲は浪人となっていたようです。龍王丸が15歳になっても家督を戻そうとしない小鹿範満を襲撃し、討ち取りました。龍王丸が元服し、今川氏親として家督を継ぐと、伊豆(静岡県伊豆半島)との国境に近い興国寺城に所領を与えられました。

早雲は内乱と腐敗に明け暮れた京都に嫌気を差し、東国へ向かったとされることが多いのですが、早雲が多額の借金を抱えていたことも記録に残されています。借金から逃れるために、東国へ逃げたのかもしれません。いずれにしろ、興国寺城を拠点とすることで早雲の国盗り物語が始まるのです。

知略を武器に相模、伊豆を獲得

まず狙いを定めたのは伊豆でした。伊豆は堀越公方と呼ばれた室町将軍の一族が治めていましたが、後継者争いで兄が母と弟を殺害するなど混乱を極めていました。早雲は1493(明応2)年、自らの手勢200人と甥の今川氏親から借りた300人を率い、伊豆の堀越御所を急襲し、伊豆を平定します。

後世の軍記物語では、早雲がこの際、伊豆の修善寺に湯治に訪れ、自ら密偵になって世情を探ったと書かれています。これが真実かどうかは不明ですが、早雲は5年間かけて抵抗勢力を伊豆から駆逐しました。

次の狙いは伊豆の東側にある相模(神奈川県南部)です。相模の小田原城には大森藤頼がいましたが、たびたび進物を贈り、親しく懇談する仲になったうえで、領内で鹿狩りをするために兵を入れさせてもらいます。

大森藤頼は親しくなった早雲を警戒していませんでした。その隙に早雲は1,000頭もの牛の角に松明をつけ、兵とともに小田原城へ進撃しました。箱根山には火をつけ、残った兵が鬨の声を上げます。大軍の攻撃と勘違いした大森藤頼は慌てて逃げだし、小田原城は早雲の手に落ちたのです。1495(明応4)年のことだとされています。

この話は早雲の知略を示す逸話として軍記物語で盛んに語られてきましたが、現在では後世の創作と考えられています。そのころ、関東では関東管領の山内上杉家と、河越城主の扇谷上杉家が激しく対立していました。

扇谷上杉家が早雲を味方に引き入れるために与えたという説や、大森家の跡目争いに乗じて早雲が奪ったとする説が出ています。扇谷上杉家に仕えていた大森藤頼が、山内上杉家に寝返ったことも、早雲の小田原城奪取のきっかけになったようです。。

その後、早雲は山内上杉家、扇谷上杉家、越後(新潟県)守護の上杉房能らと戦闘を繰り広げながら、相模で勢力を拡大していきます。やがて相模の名族三浦氏を滅ぼし、相模全土を手中に収めました。

早雲は生涯、伊勢姓を名乗っていました。北条の姓を名乗るようになったのは、嫡男氏綱の代からです。孫の氏康の代に大きく版図を広げ、関東一円に勢力を伸ばしていくのです。氏康は氏政の父、氏直の祖父に当たります。



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