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第15回 秀吉に愛された知勇兼備の将大谷吉継、真田幸村の義父となるその人物像は

NHK大河ドラマ「真田丸」第15回では、真田幸村(信繁)が羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)配下の武将大谷吉継と対面しました。吉継は知勇ともに優れ、秀吉のもとで異例の出世を遂げた名将で、後に幸村の義父となります。同僚の石田三成との関係は戦国時代で珍しい親友。三成とは違い、徳川家康との関係も良好でしたが、関ケ原の合戦では三成との友情を優先させ、西軍に味方して命を落としました。豊臣家への忠義と三成との友情を守り通した吉継の生涯は、どんなものだったのでしょうか。

秀吉の下で小姓から破格の立身出世

出生は1559(永禄2)年説が有力ですが、1565(永禄8)年という見方もあります。もとは近江(今の滋賀県)南部を治めていた六角氏家臣の出で、父の名は大谷吉房といわれています。京都吉田神社神主の吉田兼見の日記「兼見卿記」には、母が秀吉の正室北政所に仕えていたと記載されています。

幼くして秀吉の小姓となり、馬廻り衆の1人として秀吉の戦に従軍しました。1578(天正6)年、毛利輝元の軍に包囲された尼子勝久の上月城救援、播磨(兵庫県西部)の三木城攻めにも加わっています。

一気に有名になったのは、秀吉と柴田勝家が事実上、織田信長の後継者をめぐって争った1583(天正11)年の賤ケ岳の合戦。吉継は近江長浜城主の柴田勝豊を調略で内応させる一方、合戦でも先懸衆として大活躍し、七本槍に匹敵する三振の太刀を賜っています。若くして知勇ともに秀でたところを見せつけたわけです。

1585(天正13)年の紀州(和歌山県)攻めでは、2,000人の兵を率いて攻め込み、最後まで抵抗する紀州勢の杉本荒法師を討ち取る手柄が、江戸時代初めに書かれたとみられる古文書「根来寺焼討太田責細記」に記されています。

こうした戦功から、この年、秀吉が関白に任じられるとともに、吉継は従五位下・刑部少輔の官位を得ました。1589(天正17)年には、越前(福井県東部)敦賀郡2万石余りを与えられ、敦賀城主となる破格の出世を遂げたのです。

戦は下手だが、役人としての実務に優れた三成、専ら戦場での活躍が目立った加藤清正、福島正則ら他の秀吉子飼いの武将と異なり、戦場でも役人としての実務でも力を発揮し、秀吉からすると非常に使い勝手の良い武将だったようです。

幸村の正室に娘の竹林院を

三成は若いころから実力が群を抜いていた家康を嫌っていましたが、吉継はむしろ親しかったといわれています。小田原の北条攻めに赴く途中、秀吉が家康の本拠駿府城に立ち寄ろうとした際、三成が謀略を警戒して反対するのを「大納言(家康)はそのようなことはしない」と諌めたという逸話が残っています。

秀吉の死後、五大老の前田利家と家康の関係が悪化し、家康暗殺計画のうわさが立つと、福島正則らとともに家康のもとへ駆けつけ、警護に当たりました。家康の実力と器量を高く評価し、家康が実権を握るのもやむを得ないと考えていたのかもしれません。

家康が豊臣政権の実権を握ったあとも、家康を天下の主となる人物との評価を崩しませんでした。三成が挙兵を相談した際も、家康との器量の差を指摘し、これを諌めています。しかし、それでも三成が挙兵の方針を変えなかったことから、友情を優先させ、西軍に参加しました。

幸村との関係は詳しく分かっていませんが、幸村が秀吉のもとへ人質として預けられていたころから、交流があったようです。幸村の正室に娘竹林院を嫁がせ、嫡男大助らが生まれています。竹林院は妹か姪で、いったん養女にしたうえで嫁がせたとする異説もあります。

小早川勢らの裏切りにより、関ケ原で無念の自害

西軍に加わった吉継は東軍についた加賀(石川県南部)の前田利長を牽制するため、丹羽長重ら北陸の大名を調略する一方、5,700の兵を従えて美濃(岐阜県南部)に出陣しました。吉継は当時、ハンセン氏病とみられる業病を患っていたため、輿に乗って郡の指揮を執っていたと伝えられています。

1600(慶長5)年の関ケ原の合戦では、藤川谷に陣取り、東軍の藤堂高虎、京極高知の軍勢とぶつかりました。大谷勢は奮戦を続けますが、南の松尾山に陣取っていた小早川秀秋が裏切り、背後から攻めかかってきます。さらに、秀秋の裏切りに備えて配置していた脇坂安治、朽木元忠ら4隊も、東軍に内応して攻撃してきました。

一時は1万5,000人の大兵力を持つ小早川勢を押し返していた大谷勢でしたが、三方を敵に囲まれてついに持ちこたえられなくなり、吉継は自害して果てました。

嫡男の大谷吉治は関ケ原のあと、浪人となり、大阪の陣で豊臣秀頼の呼びかけに応じて西軍に参加します。義理の兄弟となる幸村らとともに、東軍相手に奮戦しますが、1615(慶長20)年の夏の陣で松平忠直の軍勢と戦い、討ち死にしました。



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