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第14回 戦乱に明け暮れた安土桃山時代、実は大地震が多発していた


NHK大河ドラマ「真田丸」第14回では、大地震のシーンが登場しました。天正の大地震です。織田信長から豊臣秀吉へ天下取りの主役が移る中、各地で戦乱が繰り返されていましたが、大地震も頻発していたのです。

さらに、徳川家康が江戸幕府を開いてからも大地震の被害が各地で続発、激しい揺れと津波がたくさんの命を奪いました。現代の日本も東日本大震災以来、地震の多発期に入ったといわれています。戦乱が続いた「真田丸」の時代と平和を謳歌する現代、地震に関しては共通項が見られるようです。

「真田丸」の舞台となった武田家滅亡の1582(天正10)年から大阪夏の陣の1615(慶長20)年までの間、どんな地震が日本を襲ったのか、日本地震学会のデータなどから調べてみましょう。

秀吉を震撼させた天正の大地震

劇中で描かれた天正の大地震は1586(天正13)年、飛騨(今の岐阜県北部)、美濃(岐阜県南部)、近江(滋賀県)を中心に大きな揺れがありました。震源は美濃中西部。地震の規模はマグニチュード7.8と推定されています。

飛騨と越中(富山県)で山崩れが多数起き、飛騨白川郷では数百の民家が土砂で埋もれたと記録に残っています。白川郷を治めていた豪族の内ケ島氏は本拠の帰雲城もろとも土砂崩れに飲み込まれ、滅亡しました。越中では木舟城が倒壊、前田利家の弟秀継が死亡しています。

太平洋側の三河湾と日本海側の若狭湾では、それぞれ複数の津波が記録されています。現在の愛知県にある養老断層、岐阜県にある阿寺断層が動いた可能性が高いと見られ、若狭湾に津波をもたらした断層の活動も考えられるようです。

最も被害が大きかったのは近江を中心とした近畿地方だといわれます。この地震の際、秀吉は近江の坂本城にいました。宣教師のルイス・フロイスは各地の城や建物が次々に崩れ落ち、「慌てた秀吉は大阪へ逃げた」と書き残しました。

長浜の集落は民家1,000戸のうち、半数が倒壊、残り半数も火事で消失したと伝えられています。琵琶湖の湖底では、下坂西千軒遺跡、西浜千軒遺跡という2つの集落跡が見つかりました。地震に伴う液状化で地盤がもろくなり、巨大な地すべりで湖底に沈んだと考えられています。

わずか5日間で3つの大地震が連続発生

1589年には駿河(静岡県東部)、遠江(静岡県西部)で、1590(天正18)年には、安房(千葉県最南部)で地震がありました。駿河、遠江では多くの民家が破損し、安房では土地が2メートルほど隆起したうえ、潮が引いて3キロの干潟が形成されました。この直後に秀吉は相模(神奈川県南部)の北条氏を降伏させ、天下統一を成し遂げます。

その6年後に当たる1596(文禄5)年、連動した可能性を持つ3つの地震がわずか5日の間に西日本を襲いました。慶長伊予地震、慶長豊後地震、慶長伏見地震です。いずれもマグニチュード7.0、もしくはそれ以上と推計されています。

慶長伊予地震は伊予(愛媛県)を走る中央構造線断層帯で発生したようですが、詳しい被害状況は分かっていません。慶長豊後地震は豊後(大分県)で死者800人以上を出し、別府湾にあった2つの島が海中に没したと伝えられています。高さ10メートル近い津波も各地を襲いました。

慶長伏見地震は京都の伏見にある有馬-高槻断層帯などを震源とした内陸型地震で、京都と堺で1,000人を上回る死者を出したとされます。伏見城の天守閣が大破したほか、京都の大覚寺、天龍寺が倒壊しました。

秀吉は伏見城にいましたが、北東の高台に避難する羽目になりました。あまりの被害の大きさから、年号は文禄から慶長に改められています。

高さ10メートルの大津波が紀伊や四国へ

秀吉の死後、天下が徳川家に移り、江戸に幕府が開設されても、地震のラッシュは止まりません。1605(慶長9)年には、四国沖の南海トラフを震源にした慶長地震が発生しました。推定マグニチュードは7.9から8.0。

関東から九州まで太平洋岸の広い範囲に津波が到達、死者は1万から2万人と推計されています。特に被害が大きかったのは紀伊(和歌山県)、阿波(徳島県)、土佐(高知県)。伊豆諸島や南四国では津波の高さが10メートルに達したともいわれています。

1608(慶長13)年には陸奥(東北地方)仙台、1611(慶長16)年には会津、三陸で相次いで地震が起きました。仙台の地震では津波で50人が死んだと記録されています。会津では3,700人が死亡、三陸地震では伊達家の所領だけで2,000~5,000人が命を失ったと古文書に書き残されています。

1614(慶長19)年には越後(新潟県)直江津沖を震源とされる地震で、北陸、関東から近畿、四国に至る広い地域で被害を出しました。ただ、複数の地震が同時期に発生していた可能性を指摘する研究者もいて、詳しいことは分かっていません。

相次ぐ戦乱の中で頻発した地震と津波の被害。当時の民衆は二重の苦しみとなったはずです。戦乱の歴史の裏側には、東日本大震災や阪神大震災と同様の悲劇が隠されていたのです。



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