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第13回 地の利を生かした戦国時代の秘密兵器、水責めの効果とは

NHK大河ドラマ「真田丸」第13回では、真田軍と徳川軍がぶつかる第1次上田合戦が描かれました。その中で真田軍が川の堤防を決壊させ、徳川軍を混乱させるシーンが登場しています。いわゆる水攻め、水計といわれる戦術です。味方の兵士を損なわず、敵に大きな被害を与えられることから、古代中国の昔から攻城戦で度々、用いられてきました。第1次上田合戦の水攻めはどこまで真実なのか、分からない部分もありますが、一般に城を包囲した側が使う戦術を籠城側が用いた点で、真田昌幸の計り知れない知略の高さがうかがえます。

三国志にも伝えられた関羽の樊城水攻め

水攻めは城攻めの秘策として古代の中国でも盛んに用いられていました。有名な戦いが後漢末の219年、現在の湖北省襄陽市であった樊城の戦いです。曹操軍の曹仁が守る樊城を劉備軍の関羽が包囲し、漢水を氾濫させて城を水没させたと伝えられています。

三国志を基に明の時代にまとめられた時代小説「三国志演義」では、関羽と曹操軍の武将龐徳の一騎打ちなど数々の名場面が登場する舞台です。当時の中国南部は海のような大河が網の目のように流れ、軍隊は馬ではなく、舟で移動していました。そうした状況を城攻めに利用した関羽の見事な計略として語られています。

この戦いで樊城は陥落寸前に陥り、曹操軍の有力武将于禁が捕虜となり、龐徳が討ち死にします。しかし、劉備軍と同盟関係にあった孫権軍の裏切りや曹操軍の援軍として駆けつけた徐晃の奮戦があり、関羽が敗走したため、樊城は陥落を免れました。

戦国史に残る秀吉の備中高松城攻め

日本の戦国時代にも3大水攻めと呼ばれる攻城戦があります。いずれも豊臣秀吉が関わっているもので、備中(今の岡山県西部)高松城攻め、紀伊(和歌山県)太田城攻め、武蔵(東京都、埼玉県、神奈川県北部など)忍城攻めです。

日本の川は中国南部のような海とも思えるほどの大河ではありませんが、長雨の時期にはしばしば氾濫して大きな被害を出すなど豊富な水量を誇っています。この水をせき止め、城内に流し込めば、力攻めで多くの兵士を失うことなく、城を落とすことができます。

高松城攻めは太閤記などさまざまな小説、ドラマ、映画に描かれた有名な攻城戦です。織田信長の命令で毛利氏の武将清水宗治が城主を務める高松城を取り囲んだ秀吉は1582(天正10)年、城が湿地帯の中にあることに目をつけ、城を堰堤で取り囲み、水攻めにしました。

軍師を務める黒田孝高の策といわれています。孝高の指揮の下、わずか10日余りで堰堤が完成。折からの梅雨の長雨で城内は見る見るうちに、水没していきました。落城も間近となった時期に異変が起きます。本能寺の変で信長が死亡したのです。

秀吉は信長の死を毛利軍に気づかれないうちに、清水宗治の切腹と引き換えに和睦を結びました。直ちに軍を近畿地方へ引き返した秀吉は、信長を討った明智光秀と対決し、天下取りへの足がかりをつかんだのです。

紀伊太田城を約1カ月で秀吉が攻略

太田城攻めは1585(天正13)年、秀吉の紀州攻略の中で行われました。太田城は単なる軍事拠点ではなく、周囲に水路を巡らせた環濠集落でした。宣教師のルイス・フロイスは書簡の中で「(水に囲まれた)1つの市のようなもの」と表現しています。

秀吉は6万とも10万ともいわれる大軍を率いていたのに対し、城内には雑賀衆、太田衆ら地元の豪族が数千の兵力で篭っていました。秀吉は当初、兵糧攻めにする方針でしたが、時間がかかりすぎることを嫌い、水攻めに切り替えたといわれています。高松城攻めの経験がそうさせたのでしょう。

鉄砲が届かない城から約300メートルの位置に高さ3~5メートルの堤防を延長6キロにわたって築き、紀の川の水を流し込みました。城は約1カ月耐えましたが、ついに耐え切れずに降伏しています。

石田三成は武蔵忍城攻略で失敗

忍城の水攻めは1590(天正18)年、秀吉が北条氏の小田原攻略中、家臣の石田三成によって進められました。2~5万の大軍を率いた三成は、北条方の成田軍2,000人が篭る忍城を包囲します。三成の軍勢には昌幸も加わっていました。

三成は5日間で全長28キロの堰堤を築き、その中へ利根川の水を流し込みます。しかし、籠城側が堤防を決壊させるなどしたため、水責めは失敗に終わりました。三成はやむなく総攻撃をかけますが、激しい抵抗に遭い、敗退します。この失敗以後、三成は戦下手と呼ばれ、評判を落としていったといわれています。

水攻めは兵糧攻めほど時間がかからず、味方の兵の損失を最小限にとどめられます。攻城側なら城を包囲しているため、作業を進めやすくなりますが、籠城側だと包囲が始まる前に準備しておかなければなりません。昌幸が第1次上田合戦でそれをやり遂げたのだとしたら、よほど周到に準備していたのでしょう。



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