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第11回 正室、継室、側室…、戦国武将の結婚事情はどうなっているの?

NHK大河ドラマ「真田丸」第11回では、堺雅人さん扮する真田幸村(信繁)が、黒木華さん演じる梅と婚礼を挙げました。梅は側室ですが、さらに正室という言葉も出てきました。ほかには継室という言葉もあります。いずれも武将の奥さんであることに違いありませんが、どういう差があるのでしょうか。後継ぎとなる男子が生まれなければ家が絶えてしまうのが武士の時代です。しかし、当時は医療が未発達で、乳幼児の死亡が後を絶ちませんでした。そんな事情が正室、継室、側室とさまざまな名前の奥さんが登場する背景に隠れているのです。

正室が本妻で、継室は後妻

正室はいわゆる本妻です。幸村の場合、まだドラマに登場していませんが、豊臣秀吉配下の武将大谷吉継の娘竹林院が正室で、長男、次男をもうけています。織田信長なら美濃(今の岐阜県南部)の戦国大名斎藤道三の娘濃姫、豊臣秀吉なら北政所と、どの大名、武将も基本的に1人しかいません。

継室は正室と離縁したり、死に別れたりしたあとで、新たに迎えた後妻を指します。これも1人だけです。徳川家康は駿河(静岡県東部)の戦国大名今川義元の姪で、関口親永の娘築山殿を正室に迎えていましたが、信長の命令で処刑しています。このため、秀吉の妹朝日姫を継室に迎えました。

幸村の兄信之は徳川家の武将本多忠勝の娘小松姫を正室に迎えたとされています。しかし、その前に従姉妹に当たる清音院殿を正室としていました。清音院殿は信之の父昌幸の兄に当たる信綱の娘です。信綱が長篠の合戦で戦死し、昌幸が真田家を継ぐ際、一族をまとめるために縁談を決めたといわれています。

このため、清音院殿が存命中、ずっと正室で、小松姫は側室の1人でしかなく、清音院殿の死後に継室になったとも、小松姫を迎えたときに清音院殿が側室となったともいわれています。江戸時代に真田家は小松姫の存在を正室としてアピールしていますが、これは幕府との関係を考慮したためでしょう。

男子をもうけるために多数の側室

側室は公に認められた妾、愛人です。大名クラスとなれば後継ぎの男子をもうけるため、複数の側室を置くのが当たり前でした。当時の結婚は政略の意味合いが強く、身分の釣り合いが取れない場合は、いくらお気に入りでも側室にとどめられました。

幸村には梅のほか、高梨内記の娘(劇中ではきり)、秀吉の甥豊臣秀次の娘隆清院がいます。梅は劇中で堀田作兵衛の妹になっていますが、史実では娘のようです。

信長は8人の側室が資料に残っています。長男の信忠、次男の信雄を産んだ吉乃が有名ですが、この女性は馬で荷物を運搬する輸送業者馬借の生駒氏の娘です。他に近江(滋賀県)の豪族、家臣の娘らを側室にしています。正室の濃姫に子がなかったことが影響しているのかもしれません。

秀吉は正室の北政所以外に、近江の戦国大名浅井長政の娘で信長の姪に当たる茶々、因幡(鳥取県東部)の戦国大名山名豊国の娘南の局ら10人を超す側室を抱えていました。信長と同様に正室に子がなかったからでしょう。後継者となる三男の秀頼を生んだのは茶々でした。ただ、茶々と足利将軍家に仕えた名門京極高吉の娘竜子は、側室の中で別格扱いされていました。

もっと側室の数が多かったのが家康です。記録が残るだけで20人以上。秀吉が良家の子女を好み、なかなか子供ができなかったのに対し、身分の上下にかかわらず、気に入ったら側室にしていたらしく、11男5女の16人の子供がいます。

ビッグダディもびっくりの子だくさんで、最後の子となる五女市姫は66歳のときに生まれています。徳川家を存続させるために、子供をたくさんもうけた点では、武士の時代の習いを最も忠実に実行したといえるでしょう。

北政所と茶々、豊臣家を滅亡に招いた女の戦い?

複数の奥さんがいると、いろいろともめごとも起きました。本来なら正室と側室では大きな差があり、正室が上に立つわけですが、側室が後継ぎを産み、寵愛を受けるといざこざに発展するわけです。

秀吉の死後、正室の北政所と秀頼を産んだ茶々の間で静かな対立があったと伝えられています。尾張(愛知県西部)出身の北政所は、加藤清正、福島正則ら尾張出身の武将に慕われ、家康に天下が移るのを事実上容認したようにも見えます。これに対し、近江出身の茶々は、秀頼のもとで豊臣家の天下を願い、石田三成ら近江出身の武将と関係が深かったとされます。

関ケ原の合戦で北政所に近い武将は東軍、茶々に近い武将は西軍に与し、秀吉恩顧の武将が2つに分かれました。歴史小説でよく見られる茶々と北政所の女の戦いが、豊臣家の滅亡を招く一因になったという説は、あながちオーバーでないのかもしれません。



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