MENU
このエントリーをはてなブックマークに追加

第4回 徳川家康を天下人の器に変えた三方ヶ原の大敗

NHK大河ドラマ「真田丸」第4回放送で、徳川家康と真田昌幸が三方ヶ原の戦いに触れたシーンがありました。当時昌幸の主君だった武田信玄と家康が1572(元亀3)年、遠江(今の静岡県西部)の浜松周辺で戦った合戦です。

織田信長の援軍を得て西上する信玄を迎え撃った家康は、惨敗を喫し、部下を見捨てて浜松城へ逃げ込みました。それまで野戦上手として知られ、織田徳川連合軍の中で最強といわれた家康にとって、これほど完膚なきまで叩きのめされたことはかつてありませんでした。しかし、この敗北が家康をひと回り大きくし、天下人の器量に変えたのです。

信長包囲網に信玄が加担

三方ヶ原の戦い当時の勢力分布を見てみましょう。家康は三河(愛知県東部)と遠江2国を支配し、浜松城に本拠を置いていました。これに対し、信玄は甲斐(山梨県)、信濃(長野県)、駿河(静岡県中部)の3国と上野(群馬県)西部半国、武蔵(東京都、埼玉県と神奈川県北部)、飛騨(岐阜県北部)の一部に勢力を及ぼし、まさに絶頂期でした。

家康と同盟を結ぶ信長は尾張(愛知県西部)、美濃(岐阜県南部)から畿内に勢力を広げ、勢力範囲の大きさは信玄をしのいでいましたが、最後の室町将軍足利義昭を敵に回し、越前(福井県東部)の朝倉義景、近江(滋賀県)北部の浅井長政、大和(奈良県)の松永久秀ら多くの敵に囲まれていました。

それまで信玄と信長は同盟を結び、信玄の後継となる武田勝頼に信長の養女が嫁ぐなど友好関係にありました。しかし、信玄は将軍義昭の信長包囲網に応じる形で西上を始め、織田徳川の連合軍とぶつかることになりました。天下統一を目指す信長にとって最大の危機、家康にとっても存亡をかけた戦いが始まったわけです。

一言坂の緒戦で敗北

信玄は軍を3つに分け、遠江、三河、美濃に同時攻撃をかけました。美濃には秋山信友率いる5,000人が侵攻し、東美濃の拠点岩村城を包囲、攻略しました。三河には山県昌景率いる5,000人が部節城、長篠城を攻略して遠江へ入りました。

信玄自身は2万の兵と同盟国北条の援軍2,000を率い、遠江の要衝二俣城へ向かいました。3万の兵力は武田氏にとり、動員可能な最大兵力です。これに対し、家康は多くとも1万5,000人。山県隊の三河侵攻で三河の兵を動かせなくなった以上、遠江だけなら8,000人を動員するのが精一杯でした。

家康は信長に援軍を要請する一方、信玄の動向を探るために少数の兵力を従えて偵察に出向きます。しかし、途中の一言坂で信玄の部隊と不意に遭遇、馬場信房隊の突撃を受けて打ち破られ、天竜川を渡って退却しました。やがて二俣城も信玄の手に落ちます。家康は信長の援軍とともに浜松城に篭城することにしたのです。

わずか2時間で完敗

信長が送った援軍は家老格の佐久間信盛、平手汎秀、林通勝のほか、滝川一益、水野信元ら有力武将がずらり。援軍の兵数は諸説ありますが、歴史学者で静岡文化芸術大教授の磯田道史さんはざっと2万人とみています。

武田軍は信玄本隊に山県隊、家康を裏切って信玄についた三河の山家三方衆が加わって2万8,000人ほど。これに対し、浜松城とその近くにいる織田、徳川連合軍は2万6,000人。ただ、信長の援軍は山県隊の陽動作戦に引っかかり、一部は三河東部に布陣したため、家康が動かせる兵力はもう少し少なかったかもしれません。

信玄は浜松城に篭る家康を横目に城を無視して西へ向かいます。武田軍が三方ヶ原に達しようとしたとき、家康は出陣します。当時、戦国最強といわれた武田軍を背後から襲撃し、打ち破ろうと考えたようです。

家康は大軍で敵を包囲する際に用いる鶴翼の陣で信玄に迫ります。一方の信玄は寡兵で大軍を打ち破るときに使う魚鱗の陣で迎え撃ちました。しかし、織田徳川の連合軍は全く歯が立ちませんでした。

わずか2時間の戦闘で徳川軍は鳥居忠広、本多忠真、中根正照ら、織田軍は平手汎秀ら有力武将が相次いで討ち死にします。家康も討ち死に寸前まで追い詰められ、夏目吉信らを身代わりにして命からがら浜松城へ逃げ帰ったのです。

戒めに描かせたしかみ像

浜松城へ逃げ戻った家康は、意気消沈した自分の姿を絵師に描かせたと伝えられています。愛知県名古屋市の徳川美術館に所蔵されている三方ヶ原戦役画像です。しかみ像とも呼ばれています。絵の中の家康はほおに手を置き、苦渋に満ちた表情を浮かべています。

家康はその後、この絵を常に手元へ置き、「2度とこんな思いをするまい」と自分を奮い立たせたといわれています。手痛い敗北を喫した経験が家康の思慮をより深いものとしたのでしょう。

この戦いの後、信玄は病で急死しました。織田徳川連合軍の危機は思わぬ幸運に助けられたのです。やがて家康は信長、豊臣秀吉の死後、天下をつかみ、征夷大将軍に任じられます。



スポンサードリンク