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「真田丸」早わかり6つのポイント!【基礎知識編】

大河ドラマ「真田丸」の主役である真田信繁(幸村)と真田家の人たちはどのような人生を歩んだのか?ドラマを楽しむためにその基礎知識を要点として分かりやすく解説します。

1.名立たる大名相手に戦った父子3人の生きざまに注目!

真田丸の主人公は、真田信繁ですが、その父である昌幸と兄の信幸ら真田一族の物語でもあります。

真田家は元々は武田信玄の家臣でしたが、その武田家が織田信長により滅亡した後は、一大名として独立を果たし、父子3人が、周りの巨大の大名を相手に小さいながらも力と知恵を合わせて、渡り合うストーリーです。

激動の戦国時代が終盤に、翻弄されながらも小勢力である真田家のプライドをかけて、後の世に「真田」の名を守りつないでいくという宿命をかけて戦い抜いていく父子3人がおりなすドラマであり、その生きざまに要注目です。

父:真田昌幸(さなだまさゆき)
1547-1611年
武田家に仕える家臣であったが、武田家滅亡後にその本領を発揮し、小勢力ながら徳川・北条・上杉などの大大名を敵に回しながら、独立を保つ。特に徳川との決戦に勝ち、真田の名を天下に知らしめることに。一方で策略や裏切り工作に優れた知将として知られてます。草刈正雄が演じる。

長男:真田信幸(さなだのぶゆき)
1566-1658年
関ヶ原の戦い直前に西軍についた昌幸と信繁だが、信幸は敵対する家康の東軍につき真田家は親子が分断して戦うことに。それも真田の血を守るため。その後は家康の家臣として忠誠を尽くし、関ヶ原の戦いの後は松代藩の初代藩主となり真田家を後世に引き継ぐ。

次男:真田信繁(さなだのぶしげ)
1567-1615年
その前半生は人質や幽閉生活が長く、日の目を見なかったが、父・昌幸の遺志を受け継ぎ、不遇の生活を送りながらも宿敵である家康に立ち向かう。大阪の陣では徳川軍を蹴散らし、家康の首を狙いあと一歩まで迫るが・・・。

2.真田一族の活躍の裏に妻や家族の支えあり

信州上田の地で構える一勢力でしかなかった真田家が時代に翻弄されながらも大大名に負かされることなく生き残れたのは、その家族、特に女性の支えがあったからこそ。

昌幸の母(恭雲院)や、昌幸の妻であり信幸と信繁を育てた山之手殿など、強い女性が多いのも特徴。信幸の妻、小松姫は苦悩する夫を心の支えとなり助け、信繁の妻は幽閉先となる九度山や決戦の地となる大阪城まで従ったといわれています。

ドラマでは、信繁の妻きり役の長澤まさみや、信幸の妻である小松姫役の吉田洋などの女優の演技にも要注目です。

【真田家の相関図】

3.独立をし大大名を手玉にとった真田家の強さ

現在の長野県上田市にあった真田郷がルーツとされる真田家。昌幸の父である幸隆の代より、戦国最強ともいわれる武田家に仕え、昌幸は参謀役を担っていたとされる。その武田家が織田信長に滅ぼされてしまうと、そこから真田家にとっては大激動の時代に突入する。

まず、主家を失った昌幸は信長に臣従。しかし、本能寺の変で信長が亡くなると、そこからは北条に従うが、不仲になると次いで、徳川へ。そこも状況が悪くなると上杉に従うと、生き残りのために、その巧みな戦略と外交術で手玉にとり、最終的には天下人である秀吉に従い、大名の地位を築くことになります。

4.宿敵とみなす家康との対決

信長の死後、昌幸は一時家康に臣従してましたが、家康が北条家と和睦するさい、真田家の沼田領を北条家に譲ることを勝手に決めたため、関係は一気に悪化することに。その後、昌幸は上杉景勝に従い、家康に対抗し、勃発したのが第一次上田合戦です。

その後も真田家と家康の因縁は続き、関ヶ原の戦い本線前には、第二次上田合戦で家康の嫡男・秀忠を撃破。大阪冬の陣でも信繁の大活躍で家康軍を撃破し、夏の陣では家康の命を落とす寸前まで攻めることになります。

昌幸、信繁の親子にとっては、家康との数度の戦いは宿命ともいえるものでした。

一方で、兄・信幸は父弟とは別に家康と良好な関係を築き、妻には徳川家の重臣の本多忠勝の娘でもあり家康の養女ともなっていた小松姫を迎え、家康との関係を築きます。関ヶ原の戦いで信幸は父弟と袂を分かち、家康の東軍に加わることに。その結果、真田家は存続することになります。

5.2度の上田合戦で宿敵である徳川軍を撃破!

徳川は大軍で、圧倒的な軍事力で上田城を攻め込みますが、昌幸は2度にわたって退けます。戦国随一とされる知将は、どのように徳川軍を破ったのでしょうか?