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第2回「決断」あらすじ

岩櫃に向かう真田家を幾多の困難が襲う

父・真田昌幸を追って、岩櫃城へ向かう信幸、信繁の真田家一行。

京都の公家の出で旅慣れぬ薫(信繁の母)が疲れて思わず足を止めた隙に、武器を携えた夜盗百姓に囲まれてしまう。

機敏な動きで応戦する信幸。信繁は薫の行李から反物を取り出し、田に放らせて百姓たちの気をそぐ。

だが別の百姓により信繁が襲われそうになったところ、間一髪、信幸の剣が救い出した。

君主・勝頼を裏切るつもりで岩櫃で待っていた昌幸は、勝頼が岩櫃ではなく岩殿へ向かったとの報を受け、小山田信茂の裏切りを察知する。

岩殿を追われた勝頼は、家臣・跡部勝資と甲州・木賊山の山麓・田野村に潜んでいた。

だがその場で、織田が甲府を制したことを知る。

くしくも先祖・武田信満公が追い詰められ自害した山でこの報を受けたことに、勝頼は皮肉を感じる。

その武田が去った新府城の焼け跡に、たたずむ一人の武将がいた。その名は徳川家康。

重臣・本多正信を従えやって来た家康は、正信と共に、武田の顛末を嘆き、織田の勃興する未来に不安を覚える。

真田家の一行は、夜盗の一件以来、旧武田領がもはや味方ばかりではないことを痛感していた。

そこで信繁は、貧しい農民の身なりに変身することを提案。

みな、顔に泥も塗る入念さだ。そこに信茂から使いの八左衛門が現れ「皆様を無事に岩櫃までお送りせよと、わが主、小山田出羽守の命を受けました」と告げる。

一家は人左衛門に応対するが、信繁だけはいぶかしみ、密かに信幸に伝える。

信繁「今は、岩殿城の守りを固める時。わざわざ小山田様が、我らのために兵を割くとは思えません」

非業の最期を遂げる勝頼 昌幸のとるべき道とは

織田家の家臣・滝川一益の軍が迫る中、勝頼は跡部勝資の介錯で自害する。享年37、これにより武田家は滅亡する。

遠く岩櫃で君主の凶報を聞いた昌幸は、勝頼の無念をおもんばかり涙する。

そしてすぐさま昌幸は、危険が迫っているはずの息子たち一行を迎えるため、兵を出す。

徳川の陣屋では、家臣・石川数正の手引きで、家康が穴山梅雪と会っていた。

武田の家臣だった梅雪を寝返らせて利用した家康だったが、だからこそ、梅雪には心を許していない。

梅雪は、織田とも内通している人物だ。そんな二人のようすを、正信は遠まきに見守っていた。

山道を行く信繁たちは、八左衛門の道案内に従い進んでいたが、気づくと方向が異なっていた。

信繁が不安を感じたとおり、八左衛門の狙いは真田の生け捕りだった。

そうと分かった瞬間、人左衛門の腕を一本の矢が突く。

昌幸が迎えに来たのだ。

昌幸と家族は、互いの無事を確認し、安堵する。

一方、武田の領地を制した織田勢は進軍。まず甲府。善光寺に入ったのは信長の嫡男・信忠だった。

その下座には、武田を離反した小山田信茂がひれ伏し忠誠を誓っていた。

しかし信忠は、誰にそそのかされたわけでもなく進んで主君を裏切った信用ならぬ逆賊として、信茂を捕らえる。

信茂が連れて行かれた先には、一益が持ち帰った勝頼の首が――。

信茂は、自らが裏切った主君の隣に、首を並べる運命となった。

その光景を見て、信茂について来た松の夫・茂誠は恐怖におののく。

そんななか、真田家は岩櫃城で軍議を重ねていた。

武田亡き後、どの大名につくべきか。

側近・高梨内記が家臣たちにも意見を乞うほど、いつになく昌幸は悩んでいた。

昌幸は二人の息子に、紙経りくじで上杉方か北条方かを選ばせようとして、二人はあきれ返る。

昌幸が既に両者とも内通していたと知った信繁は「上杉につくも北条につくも可」と柔軟な考え。

対して信幸は、いずれにしても織田家との衝突は避けられぬと異を唱える。

結局昌幸の出した結論は、紙緩りくじ以上に二人を驚かせるものだった。

昌幸「どちらにもつかん。織田につくことにする」

第2回を終えてのコラム

「武士道の欠片も見えない裏切りの時代」

真田丸 第2回 用語解説

●夜盗
夜に活動していた盗賊で、山中に拠点を置き、通行人などを襲った。
頭領などを中心とした組織を形成。戦国時代、旅をすることが危険だったのは、様々なところに山賊が出没したからである。

●木賊山の山麓・田野村
木賊山は、山梨県甲州市にある峠。
甲斐武田氏滅亡の地で、山号である天目山の名称で知られる。
応永24年(1417)、室町幕府の討伐軍に追われた第13代当主武田信満が、木賊山の山中で自害して、甲斐武田氏は一度、断絶している。

●自害
武士が行った自殺の意味。武士にとって、敵に討ち取られることは恥であり、自分で死んだほうがよいという考え方があった。自らの
腹部を刀で切り裂いた。

●上杉
上杉謙信が亡くなると、天正6年(1578)、景勝と景虎の間で後継者争いの御館の乱が勃発する。
景勝が勝利するが、越後を三分した内乱は、国力を極度に疲弊させた。
上杉は全方向を敵に囲まれ、北陸の柴田勝家、会津の蔵名盛隆、上野からは滝川一益にも攻め込ま
れ、追いつめられていた。

●北条
武田勝頼は、北条氏政と抗争して、北条方に攻勢を強めた。
昌幸は北条方の沼田城を攻略して、対北条では、真田は有利に展開していた。
しかし北条は、天正10年(1582)、織田・徳川連合軍と共に武田領に侵攻した。
上野国支配に意欲をみせる北条軍は、昌幸にとって脅成となる。


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